足音

両手いっぱいの未来

あるジャニーズJr.のファンを、10年した話




とても長くなった。人の熱量のある文章を読むのが好きで、自分の感情を整理するつもりで文字を打ち出して14000文字を超えて、ちょっと引いてる。本当は丸10年の当日にアップするつもりだったけど、ジャニーズJr.祭を見たらまた違う感情が生まれそうだから、先に完成させようかな。普段あんまり外に向けて言葉を書かないから、同じ様なことを何回も書いてしまうなぁ。




「あるジャニーズJr.のファンを、10年した話」




ジャニーズJr.のSnowMan、岩本照くんのファンになって、次の4月4日で丸10年が経つ。10年も同じ人を好きでいたことなんてもちろんないから、よく飽きないなぁって普通にびっくりする。降りた当初に友達と「10年ファンでいられるかな」って話をしたことがあって、その時には果てしなく遠い未来のことだと思ってたのに、あっという間に10年過ぎてしまったなぁ。もう10年なのか、まだ10年なのかはわからないけど。ひかるくんを好きになる前の自分が何を考えて生きていたのか、もう思い出せない。


ひかるくんのファンになってからは本当に色んなことがあって、正直言うと楽しいことばっかりじゃなかったけど、振り返るとあれもこれも全部いい思い出になってて、やっぱり全部楽しかったんだと思う。

初めての経験や、知らなかった感情、たくさんの友達、ひかるくんのファンになったおかげで得られた物は数えきれないくらいある。ひかるくんには私の人生を豊かにしてもらって、ひかるくんのおかげで生きるのが楽しい!って思えるようになった。きっと、もう二度とこんなに素敵な人には出会えないだろうな。

降りた当初は、先のことなんかわからないし、人の感情はコントロールできないから、軽々しく口に出来なかったけど、多分ひかるくんが最後の担当だと思う。こんなにしんどくて、こんなに楽しいの、ひかるくんで最後がいい。




2008年春のJUMPツアー初日。大阪城ホール。ひかるくんを初めてステージの上で見て、私の世界は大きく変わった。

その時の出演者の中には、他のSnowManのメンバーもみんないた。だけど、ひかるくんにしか目がいかなかったなぁ。間違えずに、ちゃんとひかるくんを見つけられて本当によかった。

しなやかな両手足で踊るひかるくんは、どの出演者よりもキラキラしていて目が離せなくなった。はにかんで控えめに笑う顔が、ものすごく可愛かった。「この笑顔をまっすぐ向けてもらえる、この人のファンになりたい」「この人を一番に応援したい」そう、強烈に思った記憶がある。




その時の自分はまだ学生で、しかも地方住み。当時は関西Jr.のファンをしていて、関東のJr.のファンをしたことがなかったから、しばらく悩んだ。

今ファンになって、ずっと応援できるのかな。ひかるくんはまだ中学生で、この先いつまでJr.を続けてくれるのだろうか。もし、いつかひかるくんが事務所を離れる選択をする時に直面したら、自分は耐えられるのか?そんな不安があった。

でも、その日から毎日毎日家にいる時間のほぼ全てひかるくんが踊る映像を見続けていて、どう冷静に考えてもどうしようもなく好きで、答えはもう出ていて、行けるとこまで一緒に走ろうと決めて、ひかるくんのファンになった。




私が好きになったひかるくんは、まだバク転ができなかった。多分、できてはいたけど、一回歌番組で失敗して以降しばらく封印をしてて、大々的にはやらないようにしていた、と思う。

この年の冬の少年倶楽部の収録で、ちょっと緊張したようにスタンバイしてからバク転したのを見て、思わず叫び声が漏れそうになった。その後のJUMPツアーからは、移動やフリーダンスにたくさんバク転を取り入れる様になって、出来る様になった喜びが全身から溢れ出していた。

メキメキとアクロが上達して行くのを見ては、毎回驚かされたなぁ。新しい現場の度に技のレパートリーが増えていって、どんどん大人びていくひかるくんに、もうちょっとゆっくり大人になって欲しいなぁって、思ったりもした。
今でも、一人だけアクロバットに苦戦してた話は雑誌でよくしてて、ひかるくんの中で「できなかった事を努力で出来るようにすること」は、すごく大事なことで、自信に繋がってるんだろうなぁって思ったりする。




ひかるくんがいたJr.boysはまだ明確なユニットではなくて、同じラインで辞めていく子も居た。それから、中学生と高校生は違う仕事も結構あった。一つ上の子たちが嵐ツアーで海外に行った時羨ましかったなぁ。その代わり、大倉くんのソロコンのバックについて、あの仕事も楽しかった。
書いててふと思い出したけど、2008年のサマリー後半でいきなりいわだてのコントがぶち込まれて、私は一週間くらい入院してた時期でどうしても行けなくて、一生ひかるくんの声を聞けないかもしれないって絶望した記憶がある。好きになった時は、声すら聞いたことがなかったんだなぁ。今なら、目を閉じて色んなセリフを脳内再生できるのに。




転機になったのは2009年「滝沢革命」、そこで「MisSnowMan」が出来た。

でも、ユニット名で紹介される二幕最後の挨拶には、中学生のひかるくんと阿部くんはいなくて、私や周りの友達は「なんかユニットが出来たみたい?ひかるくんも入ってるのかなぁ〜?ふーん?まぁ今までと変わらないよね!」みたいな雰囲気だった気がする。

多分今思い返すとあの時の私は、ただひかるくんが好きなだけで、ユニ担ではなかったと思う。




この頃のひかるくんたちは、ものすごくたくさんお仕事があった。滝つ、JUMP、KAT-TUN、エイト、嵐、NEWS、他にも色んな先輩のバックについて、毎月のようにコンサートや舞台があった。TVの歌コーナーにも週に何回も出て、もちろん少年倶楽部には毎月出て、たまにメインで歌ったりしていた。きっと今のJr.はもうできないような経験を、たくさん出来ていたと思う。



今までの様々なお仕事の中でも、特に印象に残ってるものの一つに、2010年嵐の国立がある。徐々に陽が落ちて真っ暗に染まった空には次々に花火が上がって、Jr.の子たちは幕から顔を出して花火を見てた。たくさんのペンライトとステージライトがキラキラしてて、いつか、ひかるくんのメインのコンサートでこんなペンライトの海を見たいなって、帰りの新幹線でぼんやり反芻した。

今思えばその時の願いは、夢の夢の、そのまた更に夢の様な願いだったなぁ。





そんなある日、MisSnowManがなくなってしまった。

その時のクリエでは、誰もミスノの名前を出さなくて、腫れものに触る様な空気に「ジャニーズJr.って、こういうもんだよな」って、結構冷静に思った気がする。多分、私たちファンなんかより、名前を奪われて宙ぶらりんになった本人たちの方がしんどかっただろうなぁ。

そこからは緩やかに、居場所を奪われるような痛みがあった。少年倶楽部には先輩のバックでごくたまに呼ばれるだけになって、雑誌は舞台の時期に1冊呼ばれるかどうかになってしまった。だけど、現場に行けばいつでも最高のパフォーマンスを見せてくれて、根拠はないけど全然大丈夫!って思ってた。自分を含めて周りのすの担はわりと受け入れていて、感傷とかはあんまりなくて、「それでも自担が仕事をするから、それを見にいくだけ」ってスタンスの人が多かった。

その時期はたまに出してもらえる雑誌のアンケートに必ず答えて、舞台やジャニショで出る写真を出来る限り買った。自分も周りも、お金で示すしかないって思ってた気がする。

頑張ってくれる場所があって、応援できる手段があることは、本当にありがたいことだったなって思う。




確か、2011年の革命の時期に、ひかるくんのダンスが変わった。大好きだった、しなやかで無重力のようなダンスは筋トレを始めた影響で、力強さが加わった。何回か見る内に慣れたけど、最初は少しだけ違和感があった。「あの頃の方が好きだった」とか言いだしたらもうダメなんだよなぁ。変化も成長も、全てを肯定していきたい。





そんな時、嵐ツアーの北海道を最後に阿部くんが受験休みに入った。ユニット名がなくなって、すごく不安定な状態での受験休みは、納得出来てないんだなって発言を雑誌でするメンバーもいた。


5人になった直後のお仕事は、亀梨くん座長の2011年「Dreamboys」。
私が好きになった頃のひかるくんの立ち位置は、だいたい上手の端っこだった。シンメは流動的で、いわだてシンメのダンスが好きだった。だけど、ドリボからひかるくんの立ち位置は5人のセンターになって、ユニット名がない状態のひかるくんたちは、岩本たちとかManって呼ばれて活動をする様になった。



この頃から、ひかるくんはすごく変わった。

立場が人を作るって言うけど、しっかりしよう!もっと成長しよう!みんなを引っ張ろう!って、すごくギラギラした想いを感じた。背中を押されて一歩前に出て、ひかるくんは一つステージを上がったように見えた。

ひかるくんが付けた振りを舞台で見られるようになったのも、この頃だった気がする。同担の友達みんなで、ここきっとひかるくんの振り付けだよね!って話をしたりした。あの頃からの経験の積み重ねが、今の振り付けに繋がってるんだろうなぁ。どんなことでもそうだけど、やろうって思ってすぐにできることじゃないと思うから、努力を積み重ねることが出来るのは、それだけで才能なんだろうなぁ。才能って言葉でくくりたくないけど。



センターになったひかるくんは、更にリーダーのポジションもやろうとしていて、私はそれがすごく不安だった。せっかくお兄ちゃんが4人もいるんだから、全部自分でやろうとせずに、みんなにもっと頼って欲しかったな。
それからのひかるくんは、空気がヒリヒリして、前みたいに無邪気に笑うことが減ってしまったように見えて、それが少し寂しかった。




次の春、2012年の春に、阿部くんが戻ってきた。

阿部くんがまたみんなの所に戻って来てくれたの、本当に嬉しかったなぁ。流れの激しいJr.の世界で同じラインに戻れる保証なんか別になくて、そんな中また滝沢歌舞伎で合流できた事は、本当にすごいことだと思う。

そしてまた、SnowManという名前をもらうことができた。これでやっとまた6人が揃って活動ができる!それが嬉しくて、でも、現状から抜け出せない閉塞感と、これからどうなるのかなぁ?みたいな、漠然とした不安も感じてた。




その年の年末から年始にかけて、三か月間のジャニーズワールドがあった。
その最中に、山田くんのソロ曲のバックにつく6人が選抜されて、その中にはひかるくんとふっかがいた。私は、ただ単純にテレビの露出が増えるのが嬉しくて、きっと一時的なものだろうと楽観視してた。だって、いわふかはSnowManのいわふかだから。たけど、その後も謎選抜はしばらく続いて、また不安はじわりと広がった。




少年倶楽部には、謎選抜の6人で出演するようになった。クリエも発表されて、ひかるくんの二十歳の誕生日は、謎選抜の公演でお祝いすることになった。
なんで誕生日の日に周りにいるのはSnowManのメンバーじゃないんだろうって、もやもやしたなぁ。ケーキが出てきた時のひかるくんは「お祝いとかないかと思ったー」って言ってた。今思うと、5/19にSnowManのメンバーが見学にきて、見学席から「ひかるー!ハッピーバースデー!」って叫ぶ状況、本当に意味がわからなかった。この頃は、そういう地味な事務所からの圧みたいなものをすごく感じたなぁ。

きっと、いわふか含めたメンバーがみんな「謎選抜でやっていきたいです!」って望んだら、事務所はGOを出すような勢いがあって、それがすごく怖かった。

他のメンバーは、今でこそユニットに所属している子たちだけど、当時は無所属の子もいて、ユニットに入ったことがない人もいた。次のチャンスはいつになるかはわからないから、この6人でやっていきたいって思っても不思議じゃなかった。でも、いわふかは「俺たちはSnowManですから」って態度を崩さなかったし、多分だけど他の子はその想いを尊重してくれてたと思う。
だから、安井さんが謎クリエの公演の最後の挨拶で「ジャニーズJr.全体の応援をお願いします」って言ってくれたの嬉しかったなぁ。みんな謎選抜を自分の居場所にしないでくれて、すごく勝手に救われた。

私はひかるくんのお仕事が見れれば、自分自身ユニットにはそこまでの固執はないって思ってたけど、ひかるくんが居て楽しい場所じゃないとダメなんだなって痛感させられた公演だった。



2013年は初のすのクリエがあって、BBJもあって、本当に…本当に色々なことがあった。SnowManの6人だけの、外部からの力が働いてないパフォーマンスを少しでもたくさん見たくて、できるだけ形に残って欲しいなって思った。

秋口くらいの滝チャンネルで、滝部屋にSnowManを呼んでもらえて、目標は「デビュー」って発言をさせてくれた。これ、本当は少し前に収録されたやつで、なかなか放送されなかったから、流れてしまったんだと思ってたから、すごく嬉しかった。

夢は言葉にすると強くなるから、公の場でそんな風に言うチャンスをくれたことが、本当にありがたかったなぁ。

でも、この時期のSnowManは少年倶楽部には呼ばれなくて、雑誌にもほとんどユニットで載ることがなかった。「またSnowManで雑誌毎月載らないかなぁ」って他担の知人にポロっと言った時、全然悪気なく「ないんじゃない?」って返されて、すごく悔しくて…でも何も言い返せなかった。

今立ってるこの場所は、どれだけデビューから遠いのかなぁって、ほんの少しだけ挫けそうにもなった。




2014年の博多座で6人でステージに立つ姿を見た時は、すごく安心した。タッキーと滝沢歌舞伎には、何回も何回も救われてきた。
この年の千秋楽には、滝沢さんがSnowManへのお手紙を書いてくれた。渡辺くんがそれを読み上げてる時の会場、体感8割ぐらいがグスッグスッって泣いてた気がするなぁ。

「今回博多からやってきて、すごく感じたことがありました。ぜひ、SnowManと、SnowManのファンの皆が、もっとひとつになって欲しいと思います。そして、もっともっと、いいグループになってください。これには時間がかかります。滝つばもファンと10年かけて一つになったと僕は実感している。一つになった瞬間にファンの有り難みファンへの恩返しができると思います。」

手紙の結びの言葉を聞いた時は、タッキーは本当によく見てるんだなって感心した。何が、って言われると明確には言葉にできないんだけど、この時のSnowManとファンの間にはなんとなく壁を感じていて、私や私の周りでは、ひたすら走ってるSnowManを勝手に後ろから走って追いかけてるイメージでヲタクをしてる人が多かったと思う。


そしてこの年のえび座は5月にあって、ひかるくんの誕生日公演があった。SnowManのメンバーに囲まれて笑うひかるくんが本当に可愛くて、やっぱりひかるくんが一番笑顔で居られる場所にいて欲しいなって思った。

そして徐々に謎選抜がなかったことになって、よし!これでよーーーやくSnowManの6人でずっとお仕事してくれるはず!!って思った矢先に、いわふかはガムシャラ、だてなべあべさくはキスマイツアーに出ることになった。ここにきて別仕事します????って思いつつ、それぞれが別の場所で仕事をすることで新しいファンがきっと増えるはず!って思いながら現場に足を運んだ。実際、TV番組のガムシャラで初めてちゃんといわふかを見たって言ってくれる人がたくさんいて嬉しかったな。当時、SnowManのこと知らないJr.担もたくさんいたから、やっぱりテレビ露出って大きいなって思った。

この時のガムシャラは、チーム我でいわふかとジェシーくん半澤くん増田くんの5人でパフォーマンスをした。5人の時のダンスは、手を抜いてるわけじゃないけど、やっぱりちょっと違う様に見えたな。
でも、いわふか二人で、その年のクリエで作ってもらったメンバーカラーの入った衣装で歌う滝つの「to be or not to be」は、覚悟を感じた。この曲にどんな想いを込めたかは想像するしかできないけど、この時の二人はSnowManとしてステージに立ってるように私の目には見えた。


『果てしない旅 どっちを選べば 幸せになるだろう?
未来の地函 探せず 不安はつきまとう
To be or not to be 最後は僕の 意志の指す方へ
胸の磁石 とにかく 信じてやれ正解じゃなく
間違えてもいい』

SnowManは、歌詞にその時の気持ちを乗せるのがすごく上手いなって思う。クリエの最後の曲は、毎回その瞬間のSnowManのリアルな感情を表現してくれてるみたいで、だからto beを選んだのも偶然じゃないのかな?って振り返ると思う。

謎選抜の間も、ふっかがずっっとひかるくんと一緒にいてくれて、本当によかった。

多分、はっきり言われたわけじゃないからわからないけど。きっと事務所は2012〜2014の間で、SnowManを解体しようとしてるんだろうなって感じることが多々あった。でも、これは私の主観だけど、その時のすの担はそんなのやだ!私たちはSnowManが好きだから!!ってしぶとく諦めずに声を出してたように思う。ヲタク側の知らない選択や、悩みとか、諦めたこともきっとたくさんあったんだろうなぁ。今思うとクリエとか、歌舞伎の千秋楽とかですのーまんはよく泣いちゃってたけど、口に出せない苦しさはきっとあって、でもある時を境に全然泣かなくなって、ずっと楽しそうで、強くなった気がする。

SnowManが、SnowManのこと諦めないでくれて、ステージに立ち続けてくれてよかった。





この辺りまでくると最近すぎて記憶が混濁してくる。
歌舞伎、クリエ、ドリボ、冬の帝劇、その合間に先輩のバックの仕事があったりして、だいたいの一年の流れは決まってしまってて、自分や周りのすの担と、多分すのーまん本人にも足踏みをしてる感覚があったんじゃないかなぁ…。
だからこそ、どの仕事も絶対に失敗できない、大成功させなきゃいけない!っていう緊張感みたいなのがあって、クリエは特にいいセトリにしよう!盛り上がらなきゃ!って、すのーまんとファンのお互い肩に力が入ってしまってた気がする。



そんな流れを変えたのは、2015年の少年たち。

ドリボの当落も振込みも終わって、他の子たちが主演で発表された少年たちを横目で見つつ、そっちの振込み締め切りから一週間くらい経ってて、まさかそのタイミングで「少年たちにSnowManの出演が決定しました( ^ ^ )/」ってメールが来るとはまっったく思ってなかった。

はぁぁぁ??!?!ナンダッテー!?振込み締め切り明後日!?わかった!!!すぐ行く!!!

って郵便局に駆け込んだ。ヲタク、フットワーク軽い。結局のところ真実はわからないけど、事務所にチャンスをもらえたんだと思う。頑張る場所が与えてもらえること、そんなに有り難いことはない。




主演舞台???なんか実感ないなぁ?メインなんだって!ってふわふわしながら初日を迎えて、ゲネプロの情報が流れてきた時「新曲??え、オリ曲もらえるの????え?」ってなったの面白かったなぁ。まさかオリジナル曲もらえるだなんてまっったく思ってなかったし、多分みんなそうだったんじゃないかな(笑)

ジグザグを初めて見た時はパフォーマンスにただただ圧倒されたんだけど、意外な曲調を選んだなぁって印象を受けた。それはアクロバティックもそうなんだけど、SnowManはかっこいい系じゃなくて明るい曲を選ぶんだ?って思って。でも時間を重ねて色んなステージで披露する度に、この曲を選んでくれてよかったなぁってしみじみ思う。SnowManと一緒に曲が育っていくのを肌で感じることができるし、みんなで盛り上がれるのがすごく楽しい。




もうきっと、メンバーがバラバラになったりすることはなくて、SnowManとしてずっと活動してくれるんだ!って安心できたのは、少年たちに出演してからだったなぁ。それまでは、正直いつまたどうなるかわからなくて、心のどっかで不安を抱えてた気がする。




「自分らしくいる」

2016年、5/16更新の「すの日常」の中で、ひかるくんは23歳の抱負をそう語ってくれた。ひかるくんの思う、自分らしいってどんなだろう?そんな事を考えながら、5/17にすのクリエの初日を迎えた。


このクリエから、ひかるくんはまたすごく変わった気がする。

それまで長らく、ちょっと斜に構えたり一歩引いてみんなを見るようになってたひかるくんが、またいっぱい笑うようになった!いっぱいしゃべって、いっぱい笑って「ひかるくんめっちゃかわいいんだけど!このかわいいモードクリエだけで終わったらどうしよう(T . T)」って終わった後にしばらく友達に何回も(早口で)言った気がする。

でも、そのあとのサマステもずっと可愛かった!!ひかるくんがかわいいと、渡辺くんが優しい!!!この時から、ずっっっとかわいくて嬉しい。なんだろうなぁ〜大人になって無理にカッコつけるのをやめたのかなぁ?ってなんとなく思うんだけど、穏やかでのびのびしてて、とても魅力的だと思う。



「少年たち」は荒削りな挑戦の一年目。護りの二年目。日生を飛び出した攻めの三年目。だったと私は思ってる。

二年目が出来たことも当たり前なんかじゃなくて、前年度の頑張りが認められてだと思うから、また任せてもらえたことが嬉しかったなぁ。渡辺くんが雑誌で結構強めに「絶対他の人に渡したくない」って言ってたのが、すごく印象に残ってる。




2017年6月、クリエの思い出に浸りながら仕事をしていた金曜日。休憩になってラインを見たら、尋常じゃない数の未読が貯まってた。少年たち発表されたんだな〜…少年たちLIVE…??友達から送られてきたラインには、日程と開催地、それから色んな人からの、おめでとう!の言葉があった。

何回読んでも、ちょっとよく意味が理解できなかったんだけど、呑気に仕事をしている間に、生まれ育った地元での少年たちLIVEが決定していた。
クリエの余韻は、一週間足らずで吹っ飛んでしまった。


ジャニーズ事務所主催の公演で、地元にタレントが来るのは初めてだった。たくさんのデビュー組やJr.のユニットがいる中、ドンピシャでSnowManが来てくれたの、本当にびっくりしたなぁ…。ひかるくんたちがずっとステージに立ち続けてくれたおかげで、地方への道が出来たことが、すごくすごく嬉しかった。

ジャニーズJr.のファンを10年していたら、担当が地元にLIVEをしに来てくれた。地方民からしたらかなり夢のある話だなって思う。



もう数えられない程ひかるくんのステージを見てきたけど、きっとあんなにワクワクしながら当日を迎えることって今後はそうそうないだろうなって思う。簡単なことじゃないかもしれないけど、また東京を飛び出して来てくれたらいいなぁ。
ひかるくんは思ってないことは絶対口にしないから「また必ずここで騒ぎましょう!」って言ってくれた言葉を信じながら、気長に待ちたいと思う。いい方に流れていきそうだから、プラスの言葉は積極的に口にしていきたい。



雑誌でふっかが言ってたけど、ひかるくんの言葉には夢を目標として、実現させる力があると私も思う。ひかるくんに着いていけば、絶対大丈夫って思える。ひかるくんが言った言葉で、信じられないって思ったの、今まで一個もないなぁ。
2010年春先くらいの雑誌で「ずっと成長し続けることを、ファンの人と約束する」って言ってくれたひかるくんの言葉が、すごく好きでずっと覚えてるんだけど、今の自分に満足せずに、どんどん前に進んでいくひかるくんを見てると、自分も自分の出来る事を頑張らなきゃなって思う。



2018年1月、東山さんと共演するハピアイをひかるくんのファンとして見ることが出来たのは、特別に感慨深かった。

ひかるくんのファンを名乗って初めて見たお仕事は、2008年プレゾンファイナルの初日だった。東京へ向かう夜行バスの中で、少年隊の曲を繰り返し繰り返し聴いたなぁ。まだ中学生だったひかるくんは、二幕に出ることが出来なくて、少年隊の三人と同じステージで踊る一つ年上のメンバーが羨ましくて、悔しくて仕方なくて、泣きながら唇を噛み締めながら二幕を観た。私はなんとなく人生をやりすごして生きてきたから、悔しくて泣いたのは生まれて初めてだった気がする。
あの時は、私のジャニヲタレベルが1だったから、40歳をすぎてあれだけのパフォーマンスが出来る少年隊のすごさとか、長年続いてきたステージが終わるということについてとか、ずっと応援してきた少年隊のファンの方の気持ちとか、全然わかってなくて、今この歳になって振り返って、ようやく気づくこともたくさんある。「The longest night」の歌詞改めて見るとめっちゃいい…。一番長い夜を、SnowManと越えたいなぁ。ミスノでやったけど、今度は6人でやって欲しいな。

ハピアイの二幕、ひかるくん楽しそうだったなぁ。東山さんのすぐ近くで、あんなに生き生きと踊る姿を見ることが出来てめちゃめちゃ嬉しかった。いつかまた、共演できる日が来ますように。






10年前の自分が夢だなぁってぼんやり描いてた、ユニットができること、メインの公演をすること、オリジナル曲をもらえること、色んなことをひかるくんは叶えてくれた。
それから、夢にも思ってなかったような景色も、たくさん見せてくれた。2018年3月25日は、またひとつ夢が叶う日になる。きっと、この先も想像もつかないような楽しいことが待ってるんだって今なら思える。これからのひかるくんとSnowManには、期待しかない。

大きな夢を語るなら、いつか東京ドームでSnowMan紹介ラップを聞きたいなぁ。歌詞変わっちゃったけど、クリエを照らせ!の部分すごく好きだったから、ドームを照らせ!岩本照って歌って欲しい。それから、大人数でSnowManコールをしたい。開演前やアンコール、曲中にSnowManコールが出来るの、滅茶滅茶嬉しい。大好きなSnowManの名前を呼べる場があるのが、本当に嬉しいなぁっていつも思う。





この10年でSnowManの他のメンバーも、他担の自分から見てもすごく変わった気がする。

ふっかは、HOT SNOWの舞台挨拶で司会の方に締めの言葉を振られて客席が「えーーー!?」(ここでふっか!?)ってハモってしまうくらい、挨拶をしたりするキャラじゃなかった。今ではSnowManをしっかり支えてくれる最年長ですごく頼もしい。

さっくんは、初めて見た先輩のコンサートMCで「学校はつまらない」って言ってて、すごく控えめで大人しい子なイメージだった。今のさっくんはいるだけで場が明るくなって、楽しくなれる。

なべちゃんは、いい意味で全然変わらないけどすごく大人になったなぁ。歌やMCもすごく上手くなったし、周りをよく見てるなって思う。そしてやっぱり顔がかっこいい。(そういえば最初、友達になべしょオススメ!降りてみたら?って勧められた)(なんか違うなぁって降りなかった)あと、ここにきて人当たりが柔らかくなった気がする。

だてさんは、昔からいつでも安定したパフォーマンスでブレない。最近では、クリエで年1しか見れなかったお茶目な面をいっぱい見せてくれて、新しい魅力を開花させててワクワクする。

あべくんは、自信をつけて、どんどん新しい道を進んでってすごいなって思う。あべくんが、SnowManに還元するために自分を磨いているのを、ただただ尊敬する。戻って来てくれて良かった。

この5人が、SnowManのメンバーで良かった。



私が見てきた10年間、ひかるくんの近くには、ずっと他の5人もいた。きっと、それぞれの担当の人から見たその子は違う見え方をするんだろうけど、色んなタイミングで、考えたり悩んだり壁にぶつかったり、少しづつ成長するのを見てこれたのは、すごく貴重な経験だったと思う。

平坦な道ではなかったし、時間はかかっているかもしれないけど、全ての出来事、全ての出会いには意味があると思ってるから、きっと全部必要だったんだと思う。遠回りして、見つかる宝物もきっとある。



多分私は今、ユニ担なんだろうなって思う。SnowManのお互いを尊重する関係性がすごく好きで、絶対に誰かのことをバカにしたり蔑ろにしないとこ、いいなぁって思う。SnowManのMCは聞いてて嫌な気分になることがない。ひかるくんの次に、他の5人が同じくらい好きだなぁ。

何年か前の自分の日記とかを読み返すと、そういえばメンバー内でもこことここあんまりそりが合わなかったんだなぁって感じることもあって、そう思うと今はすごく、馴れ合ってるわけじゃないけど6人がそれぞれいいバランスで支え合ってるなぁって感じる。


私が好きになった14歳のひかるくんは、もう24歳で、すぐに25歳になる。ひかるくんは物凄く変わった気もするし、全然変わってない気もする。すごく大人になって、優しくてあったかくなって、最近すごく穏やかになった。もちろん、同じだけ自分も歳をとってるんだけど、血の気が多かった昔に比べたら多少は落ち着いた人間になれたと思う…多分。

あの頃のひかるくんも、好きだったなぁって振り返ることもあって、どの瞬間を切り取っても世界一かっこいいと思うけど、今のひかるくんが一番好きだ。ひかるくんはどんどん成長した姿を見せてくれるから、今が一番楽しい。でも、ひかるくんの顔、中学生の時から全然変わってないね!可愛い!!っていうと、友達にそれはないよって冷静に言われる。でもほんとに変わってないなぁ。ずっと顔が天才的に可愛い。かわいい!!!





もちろん、デビューはして欲しいし、CDも欲しい。でもなにより一番の願いは、ひかるくんの望む形で未来が続いて、SnowManの6人でずっといてくれること、だなぁ。「ずっと」が約束されること、羨ましくてたまらないよ。
この10年、ただのヲタクの無力さを痛感するばかりだったけど、祈るしかできないし、信じるしかできない。できる範囲で、できることをしたい。

何年か後に、「あの時もう少し頑張ってたら、何か変わってたのかなぁ」とか、絶対言いたくない。


少年倶楽部にも呼んでもらって、オリジナル曲を披露してもらえる。たくさんの雑誌にも載せてもらえて、ジャニーズwebの連載では近況をお届けしてもらえる。ここ数年で、前よりずっっっと、いい方には進んでる。でも、安心してる場合じゃ全然ないことはわかる。今、頑張りたい。



今はJr.のユニットがたくさんあって、その数だけそれぞれにファンがいて、頑張ってない子なんか誰もいなくて、綺麗事だけどヲタクもJr.もみんなみんな報われたらいいなぁって思う。

ダンスが上手い人、演技が上手い人、歌が上手い人、魅力的な人はたくさんいる。でも、私は、岩本照じゃないと意味がない。

ひかるくんはアイドルだから、私1人がいくら好きでもそれでは存在が成立しない。もっともっとSnowManとひかるくんが世間に見つかって、ファンが増えて欲しいなぁ。ひかるくんには世界に愛されて、みんなに甘やかされてSnowManのメンバーの真ん中でぐふぐふ笑ってて欲しい。



この10年間、波がなかったわけではなくてわりとヤバい時も何度かあった。まだ高校生だったひかるくんの仕事の姿勢に対してブチ切れたこともあったし、他の子の担当をするのもいいのかなぁって悩んだこともあった(←二週間でおさまった)。疲れてしまって、もういいやって諦めてしまいそうになったことも、どうしたらいいかわからずに身動きが取れなくなったこともあった。端から見たらアホらしいかもしれないけど、悩みすぎて体調を崩した時期もあった。

多分、どちらかと言うと生命を削ってヲタクをしていたと思う。それでも、ひかるくんしか好きじゃないんだよなぁ。推しが一人でも居れば違ったのかもしれないけど、ひかるくん以外に誰にも興味がわかないし、お金や時間を使いたいとも思えない。深みにハマって、勝手に凹んだり勝手に救われたりしていた10年間だった。



前は、どうしても仮想の誰かと比べてしまって、一人でしんどくなることが多かったなぁ。公演は基本的に土日祝の遠征でしか行けないから、どう頑張っても自分の納得いく程には入れなくて、「もし都内に住んでたら」って毎日思ってた。勢い余って仕事辞めて上京しようかと思ったこともあったけど、思いとどまって本当に良かった(笑)
3.4年前からようやく、自分の可能な範囲で無理せずマイペースにヲタクが出来るようになったと思う。それからは、前みたいに落ち込んだりしなくなったし、毎日が楽しい。ないものを求めるより、あるものの中から探す方がずっと楽しめるって気づくのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。ないものはないし、あるものはあるから。



ヲタクとタレントって、契約とか義務があるわけじゃないし、今日から他の子のファンになります!ってのもすごく簡単で、誰に咎められたりもしない。
でも、私はひかるくんのファンであり続けることを毎日選択してる。ひかるくんを超えるのは、ひかるくんしかいないから。だって10年経っても、ステージのひかるくんを見ると、え!!?めっちゃかっこいい人がいる!!!そう!自担!!ってなるし、映像を見ながらしみじみとかっこいいなぁ好きだなって思う。毎回好きを更新して飽きさせないひかるくん、すごいなって思うし、ずっと応援させてくれて本当にありがたい。

私はひかるくんが見せてくれている、タレントの一面しか知らないけど、誠実で情に厚くて、物凄く優しくて、若干厳しい。嫌いなとこが一つもなくて、何もかも好きだなぁ。好きなトコはいっぱいあるけど、シンプルに顔がどストライク好きで、ダンスが滅茶苦茶好き。多分、今すぐに私が記憶喪失になっても、何百人のタレントが居る中からでも、またひかるくんのことを好きになると思う。

ひかるくんは、生まれ変わっても自分になりたいって雑誌で言ってた。私も、生まれ変わってもまたひかるくんのファンになりたい。とりあえず今世、先のことは分からないし、環境が変わって今までと同じペースでは走れないかもしれないけど、死ぬまでひかるくんのファンをしていきたいなぁって思うよ。

よく、新しく知り合った方とかに「リア恋じゃないの!?」って言われるんだけど、リア恋要素は1ミリもないなぁ。一番近いのは、信仰心だと思う。年月が積み重なる程に余計な欲がそぎ落ちていって、一緒にしてくれるなって感じだと思うけど、「SnowManのためならなんだってします!」って言ったふっかの気持ちがなんとなくわかる。
自分の感情に振り回されることも多かった昔に比べて、いいファンになりたいなぁって、すごく思うようになった。まぁ、いいファンになれてるかは別にして、自分の言動でひかるくんの評価を下げることをしたくないなって、すごく思う。「SnowManはすごいのにファンの質が悪い」とか言われたら、悲しいし嫌すぎる。



ひかるくんに幸せになって欲しい。ファンの力を過信してるわけじゃないけど、出来ることはなんだってしたい。今までたくさんもらったから、何か少しでも返していきたいな。きっと、夢に向かってひたむきに努力できるひかるくんなら、どの世界でも成功してたと思う。だからこそ、ジャニーズ事務所を選んで今こうしてアイドルをしてくれているのは、本当に奇跡的なことだと思うし、応援させてもらえる尊みがすごい。




10年前、私の目の届く所にいてくれて、ずっとステージに立ち続けて、応援させてくれて本当にありがとう。これから先の未来も、ひかるくんが自分の力で切り拓いて輝いていくことを楽しみにしてます。ひかるくんが、ずっと笑っていられますように。ひかるくんが、ずっとずっと幸せでいられますように。


自分の中での節目に、今の思いを残しておきたいなぁと思って久々にブログを書いてみたけど、ものすごく長くなってしまった。ここまで読んでる人いるのか疑問。誤字がないか読み返したけど読むのめっちゃ時間かかった(笑)

書いてる内に1人で楽しくなってしまって、次から次から色んな言葉が溢れてくるけど、この辺りで〆ることにする。しばらくブログは書かないだろうな。




SnowMan岩本照くんのファンを10年間した話

おしまい!